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2008年05月12日
2008年05月11日
2008年05月10日
2008年05月08日
栽弘義先生 一周忌

2008年5月8日。私たち教え子一同、改めて恩師、栽弘義先生のご冥福を心からお祈りいたします。
2008年05月07日
栽 弘義 豊見城高校時代


豊見城高校8期 選抜大会(甲子園球場)の写真です
当時、私も中学2年の春休みに見て、感動しました
その時、豊見城高校に入学し甲子園に行くと決意しました。
栽先生の恐ろしさも知らずに・・・
2008年05月06日
栽 弘義


甲子園初出場 75年春、栽先生は、部長登録
年齢制限で試合に出場できなくなった
亀谷興勝投手を監督に抜擢した。
当時のキャプテン浜川太(キャッチャーで4番)
コメントです。
亀谷選手に対しての配慮、心配りなど
今振り返って見ると、「なかなか出来る事ではない」
尊敬できる先生に出会えて感謝の思いで、いっぱいです
2008年05月05日
2008年04月29日
2008年04月28日
2008年04月26日
2008年04月25日
故 栽弘義を偲ぶ会

昭和50年 第47回春の選抜高等学校野球大会
栽弘義、甲子園初出場で初の1勝。千葉・習志野を3×0で破り、初陣を飾る。
先にお伝えした通り、5月20日(火)に『故 栽弘義を偲ぶ会』が行われます。
みなさまにも生前、栽先生とゆかりのあった方々にお伝え頂けます様、宜しくお願い申し上げます。
私も恩返しとして全力投球で取り組みます。
詳細は栽弘義オフィシャルサイトをご覧下さい。
2008年04月22日
栽先生の遺品
日時:5月20日(火)18:30受付
ところ:沖縄かりゆしアーバンリゾート・ナハ6階ニライカナイの間
故 栽 弘義を偲ぶ会の資料です
生前の栽先生との思い出が蘇ります
泣きながら、確認し、整理してます
何か不思議な感覚です
今、大事な資料が目の前にあります
恩師を思う私の気持ちが伝わったのか
大役を任せられました
栽先生のおもいを正確にまとめ
偲ぶ会に貢献できるよう努めます
2008年04月17日
南部の時代
春季九州高校野球大会
4月19日から始まる春季九州高校野球大会に出場する沖縄尚学と浦添商業が16日に長崎へと出発しました。先日のチャレンジマッチでは浦添商業がセンバツの覇者・沖縄尚学を8:1という大差で粉砕しました。ある程度予想されていたとはいえ、いいとこなしの沖尚はショックだったでしょう。でもいい刺激でした。
しょせん発達途上の高校生、たとえ1週間でも気を抜くとそういう結果になるということですね。沖尚の東浜くんや伊古くんの故障も気になります。それにしても浦商の投打は圧巻でした。日本一どころか高校野球世界一をあげたいくらいです。中学野球も含めてほんとに沖縄の野球レベルは上がりました。近いうち「沖縄を制するものは全国を制す」の言葉も聞かれるでしょう。
さて、30年前シリーズですが、我が豊見城高校と南風原高校が揃って春季九州高校野球大会(福岡)に出場しました。両校とも南風原とその近隣出身者が多くいわゆる南部連合といった感じでした。伊良皆さんらはいまだに県軟式野球の第一線で活躍しています。
「南部の時代」がたしかにあったんですね。近所の少年野球関係者の皆さんと子供たち、あの南部の時代をもう一度再現してほしいです!!

4月19日から始まる春季九州高校野球大会に出場する沖縄尚学と浦添商業が16日に長崎へと出発しました。先日のチャレンジマッチでは浦添商業がセンバツの覇者・沖縄尚学を8:1という大差で粉砕しました。ある程度予想されていたとはいえ、いいとこなしの沖尚はショックだったでしょう。でもいい刺激でした。
しょせん発達途上の高校生、たとえ1週間でも気を抜くとそういう結果になるということですね。沖尚の東浜くんや伊古くんの故障も気になります。それにしても浦商の投打は圧巻でした。日本一どころか高校野球世界一をあげたいくらいです。中学野球も含めてほんとに沖縄の野球レベルは上がりました。近いうち「沖縄を制するものは全国を制す」の言葉も聞かれるでしょう。
さて、30年前シリーズですが、我が豊見城高校と南風原高校が揃って春季九州高校野球大会(福岡)に出場しました。両校とも南風原とその近隣出身者が多くいわゆる南部連合といった感じでした。伊良皆さんらはいまだに県軟式野球の第一線で活躍しています。
「南部の時代」がたしかにあったんですね。近所の少年野球関係者の皆さんと子供たち、あの南部の時代をもう一度再現してほしいです!!

2008年04月12日
青春ドラマ
青春ドラマ/甲子園秘話
これから紹介する青春ドラマは、赤嶺賢勇先輩が豊見城高校から東京巨人軍に入って2年後、沖縄での出来事です。雑誌『センブンティーン』に掲載された記事です。『センブンティーン』といえば女子高校生向けのアイドルやファッションの情報雑誌。男はまず見ない読まない本ですが、そんな雑誌の特集に我が豊見城高校野球部11期が載ったのです。ということは我々は「アイドル」になったかもしれないという幻想を抱いたりしちゃったりもします。しかし期待されながらセンバツで初戦敗退したあとの取材記事ですから内容はまあ暗い暗い。でも青春ドラマ仕立てでかっこよく書かかれてあります。さっそくひもといてみましょう。
涙は夏までおあずけだ!
桐生3−1豊見城。試合は終わった。しかし、負けた豊見城は、バッテリーの神里くん、石嶺くんをはじめ、だれひとり甲子園の土を持っていこうとしなかったし、涙なんか見せなかった。泣くのは、夏の大会で優勝したとき。今日からは、夏をめざして、練習開始だ…ーーーと。(泣くのを必死にこらえ「巨人の星」の青雲高校の如く夕日に向かって走り出す選手たち)ハイッ、カットカット! (何の撮影や!)





これは実話です。実際、夏に向けて死ぬほど練習してました。
これから紹介する青春ドラマは、赤嶺賢勇先輩が豊見城高校から東京巨人軍に入って2年後、沖縄での出来事です。雑誌『センブンティーン』に掲載された記事です。『センブンティーン』といえば女子高校生向けのアイドルやファッションの情報雑誌。男はまず見ない読まない本ですが、そんな雑誌の特集に我が豊見城高校野球部11期が載ったのです。ということは我々は「アイドル」になったかもしれないという幻想を抱いたりしちゃったりもします。しかし期待されながらセンバツで初戦敗退したあとの取材記事ですから内容はまあ暗い暗い。でも青春ドラマ仕立てでかっこよく書かかれてあります。さっそくひもといてみましょう。
涙は夏までおあずけだ!
桐生3−1豊見城。試合は終わった。しかし、負けた豊見城は、バッテリーの神里くん、石嶺くんをはじめ、だれひとり甲子園の土を持っていこうとしなかったし、涙なんか見せなかった。泣くのは、夏の大会で優勝したとき。今日からは、夏をめざして、練習開始だ…ーーーと。(泣くのを必死にこらえ「巨人の星」の青雲高校の如く夕日に向かって走り出す選手たち)ハイッ、カットカット! (何の撮影や!)





これは実話です。実際、夏に向けて死ぬほど練習してました。
2008年04月09日
赤嶺賢勇氏最新情報
夏に向けた準備が全国一遅い
沖縄尚学、優勝おめでとうございます。
4/5の沖縄タイムスで赤嶺先輩のコメントがありました。
赤嶺賢勇氏(豊見城高校のエースとして1975年春のセンバツで県勢初の8強入り)
赤嶺さんの最新の情報です。
荒井幸博氏のブログ『荒井幸博TODAY』というブログに掲載されていました。
タイトル:沖縄尚学優勝の翌日に赤嶺賢勇さんと
沖縄尚学、優勝おめでとうございます。
4/5の沖縄タイムスで赤嶺先輩のコメントがありました。
赤嶺賢勇氏(豊見城高校のエースとして1975年春のセンバツで県勢初の8強入り)
赤嶺さんの最新の情報です。
荒井幸博氏のブログ『荒井幸博TODAY』というブログに掲載されていました。
タイトル:沖縄尚学優勝の翌日に赤嶺賢勇さんと
2008年04月08日
深紅の優勝旗に”万歳“

深紅の優勝旗をしっかり両手で握った、島袋キャプテンを先頭に、
空港ロビーに入ってきた豊見城高野球部=那覇空港
深紅の優勝旗だからといっても夏の甲子園ではありません。
1977年秋に県勢として初めて九州を制覇して凱旋帰沖したときの様子です。今回の沖尚ほどの騒ぎではないが、当時としては学校や高野連関係者を中心に大歓迎を受けた記憶があります。九州制覇は現在の沖尚の甲子園センバツ制覇の布石となる一つの大きな関門でした。
琉球新報 昭和52年(1977)11月16日朝刊
深紅の優勝旗に”万歳“

空港は歓迎陣の波
九州制覇の豊見城ナイン
夢果たし帰る
帰ってからが勝負です。チヤホヤされていつまでも有頂天になっていると、あとでとんでもないことになりますよ。
ところで
昔の高校生はテレビや新聞のインタビューに答えるのはうまくありませんでした。緊張して日本語でうまく話せなかったのです。その点、現在の沖縄尚学の選手や最近の高校生の話し方は堂々としてとても上手ですね。
2008年04月05日
夏に向けた準備が全国一遅い
夏に向けた準備が全国一遅い
沖縄尚学、優勝おめでとうございます。
4/5の沖縄タイムスで赤嶺先輩のコメントがありました。
赤嶺賢勇氏(豊見城高校のエースとして1975年春のセンバツで県勢初の8強入り)
【八回に逆転した準決勝は、今までの沖縄のチームとはひと味違う粘りだった。強かった。決勝までに残ったことは夏に向けての準備が全国一遅いということ。重圧もあると思うが、そんな謙虚な気持ちを忘れずにさらに頑張ってほしい】
〜たしかに今県勢は浦添商、中部商、首里、石川、興南を筆頭に、八重商工、浦添工、豊見城、本部、名護…どこも強い。連日、守りを鍛えて、東浜投手対策の打撃練習をしていると思えば侮れない。さすが先輩、経験から来るピリッとしたコメントです。夏の戦いはすでに始まっています。
ところで今センバツ決勝戦のスコア予想を私は6:0で沖尚の勝利としました。
(4/3のコメント参照)
4回までズバリ的中!
5回の伊古くんのランニングホームランはおまけで私的には想定外です。
相手の中継も乱れてましたし…。 結果9:0 中当たりでした!
沖縄尚学、優勝おめでとうございます。
4/5の沖縄タイムスで赤嶺先輩のコメントがありました。
赤嶺賢勇氏(豊見城高校のエースとして1975年春のセンバツで県勢初の8強入り)
【八回に逆転した準決勝は、今までの沖縄のチームとはひと味違う粘りだった。強かった。決勝までに残ったことは夏に向けての準備が全国一遅いということ。重圧もあると思うが、そんな謙虚な気持ちを忘れずにさらに頑張ってほしい】
〜たしかに今県勢は浦添商、中部商、首里、石川、興南を筆頭に、八重商工、浦添工、豊見城、本部、名護…どこも強い。連日、守りを鍛えて、東浜投手対策の打撃練習をしていると思えば侮れない。さすが先輩、経験から来るピリッとしたコメントです。夏の戦いはすでに始まっています。
ところで今センバツ決勝戦のスコア予想を私は6:0で沖尚の勝利としました。
(4/3のコメント参照)
4回までズバリ的中!
5回の伊古くんのランニングホームランはおまけで私的には想定外です。
相手の中継も乱れてましたし…。 結果9:0 中当たりでした!
2008年04月03日
沖尚、決勝進出
沖尚、決勝進出おめでとう!
嶺井君よく打った!東浜君ナイスピッチング!
優勝するには2番手投手の奮起が必要!
剛球・上原君、南部魂にも期待!
9年前の4月4日は金城孝夫監督率いる
比嘉、照屋の両投手で沖尚が優勝した日
あすはどうか!!
嶺井君よく打った!東浜君ナイスピッチング!
優勝するには2番手投手の奮起が必要!
剛球・上原君、南部魂にも期待!
9年前の4月4日は金城孝夫監督率いる
比嘉、照屋の両投手で沖尚が優勝した日
あすはどうか!!
2008年04月02日
あの一球、分かれ道に
沖縄尚学、ナイスゲームでした!
強豪天理に勝ちました!
おめでとうございます。明日もたのしみです。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
さて、31年前の記事を掲載します。
これは初の九州大会制覇したあとの栽先生のインタビューです。
栽先生の野球に対する姿勢、さまざまな教えは、豊見城高校野球部OBの金城監督(沖尚がセンバツ初優勝したときの監督)を経由してその教え子の比嘉公哉監督〜今の選手たちにしっかりと受け継がれていると思います。
昭和52年(1977年)11月16日 水曜日 琉球新報

この人と30分
九州制覇した豊見城高校野球部監督
栽 弘 義
ー九州制覇おめでとうございます。どうですか飛行機のタラップを降りてきたときの気持ちは
栽監督●うれしさと不安がごちゃまぜになった妙な気分ですね。初めての九州制覇ですからね。それはもううれしいにはちがいない。だけど、これでまた甲子園にみなさんの期待が大きくなったわけですからね。それにこたえられるかどうか。責任が重くなっだけに、それだけ不安も。
ー優勝の原動力は
栽監督●攻守のバランスがとれていたということでしょうね。それに軸になる選手がそれだけの働きをしてくれた。投手がまだ仕上がっていないとう不安もあるが、よくがんばってくれた。
ーそれだけ打力の勝利ですね。
栽監督●うん、まあよく打ってくれました。昨年にくらべて柄は小さくなったがパワーはは上ですよ。パワートレーニング、ウエートトレーニングを続けてきた成果でしょう。石嶺の小浜戦でのホームランは場外に130mは飛んでいる。神里のは低いライナーでね。
ー守備も再三ダブルプレーを演じピンチを切り抜けましたね。
栽監督●この大会で三塁の宮城、遊撃の新垣は自信をつけたでしょう。それに内野では二塁の比嘉康がキーですね。バッティングは湿りがちだったが、その守備の広さ、連係プレーの確かさは一試合でヒット4本の価値があった。
ーさて、対小倉戦で1:1で迎えたあの9回裏、小倉の攻撃1死満塁、1打サヨナラ負けという絶対のピンチに立たされたときの気持ちは。
栽監督●絶対絶命のピンチでしたね。しかし、あのシーンを思い出してください。昨年夏の大会県予選の決勝戦でもまったく同じシーンがありましたよ。このピンチを迎えた打者は小倉も那覇も上位。スクイズでなく絶対勝負してくると読んでましたよ。そうなったら活路も開けてくると、あの時点で宮城にピッチドアウトする余裕はありません。スクイズでこられたら負けでしたね。
ーそして続く二死満塁カウント2−3のときの心境は。
栽監督●あの一球が分かれ道で、優勝を呼び込んだといえるでしょう。宮城を替える気持ちはまったくなかった。そのときの勝負球が変化球でね。宮城正独特の落ちる球、ストンと胸がすくように落ちた。
ー九州の高校野球のレベルをどう見ました。
栽監督●レベルは低くないと思う。試合になったらそれは新人らしさが残ってましたがね。これから春、夏に鍛えがいのある選手がゴロゴロという感じです。それだけセンバツ、夏はきびしくなると思いますよ。
ーさてセンバツですね。九州を制覇したことで当然マークされると思いますが、甲子園に向けてチームの課題は。
栽監督●まず体力をつけること、パワーアップでしょうね。九州大会ではパワーでも他校を上回ったが、甲子園ではまだまだ通用しない。それとプレーの確かさを増すことになるでしょう。たとえば神里は制球力はいいといってもスポットコントロールにはまだ不安が残る。連携プレーにも、走塁にもやるべき課題はまだ山ほどある。
九州を制覇したからといって選手に自信をつけさせちゃいかんと思っているんですよ。しごいてしごいて、あしたからの練習は選手が持ったかもしれない自信をなくすことから始めなければならない。ひとつひとつ、これから積み上げていく気持ちです。
……………………………………………
思い出にのこるあの日あの一球でした。
強豪天理に勝ちました!
おめでとうございます。明日もたのしみです。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
さて、31年前の記事を掲載します。
これは初の九州大会制覇したあとの栽先生のインタビューです。
栽先生の野球に対する姿勢、さまざまな教えは、豊見城高校野球部OBの金城監督(沖尚がセンバツ初優勝したときの監督)を経由してその教え子の比嘉公哉監督〜今の選手たちにしっかりと受け継がれていると思います。
昭和52年(1977年)11月16日 水曜日 琉球新報

この人と30分
九州制覇した豊見城高校野球部監督
栽 弘 義
ー九州制覇おめでとうございます。どうですか飛行機のタラップを降りてきたときの気持ちは
栽監督●うれしさと不安がごちゃまぜになった妙な気分ですね。初めての九州制覇ですからね。それはもううれしいにはちがいない。だけど、これでまた甲子園にみなさんの期待が大きくなったわけですからね。それにこたえられるかどうか。責任が重くなっだけに、それだけ不安も。
ー優勝の原動力は
栽監督●攻守のバランスがとれていたということでしょうね。それに軸になる選手がそれだけの働きをしてくれた。投手がまだ仕上がっていないとう不安もあるが、よくがんばってくれた。
ーそれだけ打力の勝利ですね。
栽監督●うん、まあよく打ってくれました。昨年にくらべて柄は小さくなったがパワーはは上ですよ。パワートレーニング、ウエートトレーニングを続けてきた成果でしょう。石嶺の小浜戦でのホームランは場外に130mは飛んでいる。神里のは低いライナーでね。
ー守備も再三ダブルプレーを演じピンチを切り抜けましたね。
栽監督●この大会で三塁の宮城、遊撃の新垣は自信をつけたでしょう。それに内野では二塁の比嘉康がキーですね。バッティングは湿りがちだったが、その守備の広さ、連係プレーの確かさは一試合でヒット4本の価値があった。
ーさて、対小倉戦で1:1で迎えたあの9回裏、小倉の攻撃1死満塁、1打サヨナラ負けという絶対のピンチに立たされたときの気持ちは。
栽監督●絶対絶命のピンチでしたね。しかし、あのシーンを思い出してください。昨年夏の大会県予選の決勝戦でもまったく同じシーンがありましたよ。このピンチを迎えた打者は小倉も那覇も上位。スクイズでなく絶対勝負してくると読んでましたよ。そうなったら活路も開けてくると、あの時点で宮城にピッチドアウトする余裕はありません。スクイズでこられたら負けでしたね。
ーそして続く二死満塁カウント2−3のときの心境は。
栽監督●あの一球が分かれ道で、優勝を呼び込んだといえるでしょう。宮城を替える気持ちはまったくなかった。そのときの勝負球が変化球でね。宮城正独特の落ちる球、ストンと胸がすくように落ちた。
ー九州の高校野球のレベルをどう見ました。
栽監督●レベルは低くないと思う。試合になったらそれは新人らしさが残ってましたがね。これから春、夏に鍛えがいのある選手がゴロゴロという感じです。それだけセンバツ、夏はきびしくなると思いますよ。
ーさてセンバツですね。九州を制覇したことで当然マークされると思いますが、甲子園に向けてチームの課題は。
栽監督●まず体力をつけること、パワーアップでしょうね。九州大会ではパワーでも他校を上回ったが、甲子園ではまだまだ通用しない。それとプレーの確かさを増すことになるでしょう。たとえば神里は制球力はいいといってもスポットコントロールにはまだ不安が残る。連携プレーにも、走塁にもやるべき課題はまだ山ほどある。
九州を制覇したからといって選手に自信をつけさせちゃいかんと思っているんですよ。しごいてしごいて、あしたからの練習は選手が持ったかもしれない自信をなくすことから始めなければならない。ひとつひとつ、これから積み上げていく気持ちです。
……………………………………………
思い出にのこるあの日あの一球でした。
2008年03月30日
沖縄はいまや〜後半
沖縄はいまや沖縄ではない/後半
1978年春センバツ前のスポーツ記者・八代浩氏のコラム記事です。
『サンデー毎日臨時増刊号(昭和53年3月発行)』より引用させていただいてます。
前回記事に続いて〜後半
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
四年前の第47回大会、甲子園に初登場した豊見城は、沖縄勢としてはセンバツ初のベスト8に進出、準々決勝でも東の横綱・東海大相模に九分九厘勝っていた。しかし九回裏、二死から逆転負けを喫し、甲子園の手痛い教訓をいやというほど味あわされた。「あと一歩でした。残念ですー…」。目を赤くし、無念さを隠そうとしない栽監督の姿が印象に残る。
それから夏は二度、センバツは連続四度目。練習が厳しい。「いまの一球で相模に負けたんだぞ」「そのプレーが星稜戦の敗因だ」〜容赦ない叱声といっしょに、四年間の”教訓“がチームに刻み込まれていく。
平均身長169cm。群馬の前橋とともに出場校中最小である。だが小粒でも往年に名横綱、栃錦や若乃花のように、持て余すほどの力感のあるチームがある。昨年の箕島、四十七回大会の高知…。四つに組んだときの豊見城のしたたかな地力については九州勢が揃って証言している。「大きなチームは昨年でたくさんです」と栽監督。「大勝もする代わりに、一つ調子を外されると、それっきりだ。その点、ことしのチームはいろんな状況に対応できる。自分が手がけたチームではまず最強でしょう」
薩摩によく勝った
そこで優勝への野心を診断してみた。「ことしの豊見城ではまだ戦力不足です。だが、沖縄、興南、コザ…本土コンプレックスのない好チームと指導者はどんどん増えている。うちがやれなくても、沖縄が甲子園で優勝するのは時間の問題ですよ」。意地っ張りの栽監督には、良いにつけ悪いにつけ、沖縄を特別視扱いすることを拒否する姿勢がある。
しかし、こんな話もした。五十年秋の九州大会で鹿児島実を破ったとき、老人たちが「薩摩によく勝ってくれた」と涙を流して喜んだ。「薩摩藩の圧政に苦しんだ島民の感情が、まだ生きていたんですねえ。歴史にじかに触れた気分でした」。そして昨秋の大会でも鹿児島商を下し「これで鹿児島勢に五連勝です」〜栽監督も宜野座部長もほとんど会心とでもいいたい笑顔でいうのだ。
サツマを破り、九州全域を切り従え、沖縄の夢をのせて豊見城がやってくる。
(八代 浩)
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
2008年(平成20年)
首里高校が沖縄勢として初めて甲子園に登場して50年の節目
栽先生率いる豊見城が築き上げた30年前の礎(いしずえ)
綿々と受けつがれる沖縄高校野球界の歴史と伝統
………
本日、沖縄尚学の健闘を祈ります。
1978年春センバツ前のスポーツ記者・八代浩氏のコラム記事です。
『サンデー毎日臨時増刊号(昭和53年3月発行)』より引用させていただいてます。
前回記事に続いて〜後半
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
四年前の第47回大会、甲子園に初登場した豊見城は、沖縄勢としてはセンバツ初のベスト8に進出、準々決勝でも東の横綱・東海大相模に九分九厘勝っていた。しかし九回裏、二死から逆転負けを喫し、甲子園の手痛い教訓をいやというほど味あわされた。「あと一歩でした。残念ですー…」。目を赤くし、無念さを隠そうとしない栽監督の姿が印象に残る。
それから夏は二度、センバツは連続四度目。練習が厳しい。「いまの一球で相模に負けたんだぞ」「そのプレーが星稜戦の敗因だ」〜容赦ない叱声といっしょに、四年間の”教訓“がチームに刻み込まれていく。
平均身長169cm。群馬の前橋とともに出場校中最小である。だが小粒でも往年に名横綱、栃錦や若乃花のように、持て余すほどの力感のあるチームがある。昨年の箕島、四十七回大会の高知…。四つに組んだときの豊見城のしたたかな地力については九州勢が揃って証言している。「大きなチームは昨年でたくさんです」と栽監督。「大勝もする代わりに、一つ調子を外されると、それっきりだ。その点、ことしのチームはいろんな状況に対応できる。自分が手がけたチームではまず最強でしょう」
薩摩によく勝った
そこで優勝への野心を診断してみた。「ことしの豊見城ではまだ戦力不足です。だが、沖縄、興南、コザ…本土コンプレックスのない好チームと指導者はどんどん増えている。うちがやれなくても、沖縄が甲子園で優勝するのは時間の問題ですよ」。意地っ張りの栽監督には、良いにつけ悪いにつけ、沖縄を特別視扱いすることを拒否する姿勢がある。
しかし、こんな話もした。五十年秋の九州大会で鹿児島実を破ったとき、老人たちが「薩摩によく勝ってくれた」と涙を流して喜んだ。「薩摩藩の圧政に苦しんだ島民の感情が、まだ生きていたんですねえ。歴史にじかに触れた気分でした」。そして昨秋の大会でも鹿児島商を下し「これで鹿児島勢に五連勝です」〜栽監督も宜野座部長もほとんど会心とでもいいたい笑顔でいうのだ。
サツマを破り、九州全域を切り従え、沖縄の夢をのせて豊見城がやってくる。
(八代 浩)
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2008年(平成20年)
首里高校が沖縄勢として初めて甲子園に登場して50年の節目
栽先生率いる豊見城が築き上げた30年前の礎(いしずえ)
綿々と受けつがれる沖縄高校野球界の歴史と伝統
………
本日、沖縄尚学の健闘を祈ります。




















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