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2008年04月08日
深紅の優勝旗に”万歳“

深紅の優勝旗をしっかり両手で握った、島袋キャプテンを先頭に、
空港ロビーに入ってきた豊見城高野球部=那覇空港
深紅の優勝旗だからといっても夏の甲子園ではありません。
1977年秋に県勢として初めて九州を制覇して凱旋帰沖したときの様子です。今回の沖尚ほどの騒ぎではないが、当時としては学校や高野連関係者を中心に大歓迎を受けた記憶があります。九州制覇は現在の沖尚の甲子園センバツ制覇の布石となる一つの大きな関門でした。
琉球新報 昭和52年(1977)11月16日朝刊
深紅の優勝旗に”万歳“

空港は歓迎陣の波
九州制覇の豊見城ナイン
夢果たし帰る
帰ってからが勝負です。チヤホヤされていつまでも有頂天になっていると、あとでとんでもないことになりますよ。
ところで
昔の高校生はテレビや新聞のインタビューに答えるのはうまくありませんでした。緊張して日本語でうまく話せなかったのです。その点、現在の沖縄尚学の選手や最近の高校生の話し方は堂々としてとても上手ですね。
2008年04月02日
あの一球、分かれ道に
沖縄尚学、ナイスゲームでした!
強豪天理に勝ちました!
おめでとうございます。明日もたのしみです。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
さて、31年前の記事を掲載します。
これは初の九州大会制覇したあとの栽先生のインタビューです。
栽先生の野球に対する姿勢、さまざまな教えは、豊見城高校野球部OBの金城監督(沖尚がセンバツ初優勝したときの監督)を経由してその教え子の比嘉公哉監督〜今の選手たちにしっかりと受け継がれていると思います。
昭和52年(1977年)11月16日 水曜日 琉球新報

この人と30分
九州制覇した豊見城高校野球部監督
栽 弘 義
ー九州制覇おめでとうございます。どうですか飛行機のタラップを降りてきたときの気持ちは
栽監督●うれしさと不安がごちゃまぜになった妙な気分ですね。初めての九州制覇ですからね。それはもううれしいにはちがいない。だけど、これでまた甲子園にみなさんの期待が大きくなったわけですからね。それにこたえられるかどうか。責任が重くなっだけに、それだけ不安も。
ー優勝の原動力は
栽監督●攻守のバランスがとれていたということでしょうね。それに軸になる選手がそれだけの働きをしてくれた。投手がまだ仕上がっていないとう不安もあるが、よくがんばってくれた。
ーそれだけ打力の勝利ですね。
栽監督●うん、まあよく打ってくれました。昨年にくらべて柄は小さくなったがパワーはは上ですよ。パワートレーニング、ウエートトレーニングを続けてきた成果でしょう。石嶺の小浜戦でのホームランは場外に130mは飛んでいる。神里のは低いライナーでね。
ー守備も再三ダブルプレーを演じピンチを切り抜けましたね。
栽監督●この大会で三塁の宮城、遊撃の新垣は自信をつけたでしょう。それに内野では二塁の比嘉康がキーですね。バッティングは湿りがちだったが、その守備の広さ、連係プレーの確かさは一試合でヒット4本の価値があった。
ーさて、対小倉戦で1:1で迎えたあの9回裏、小倉の攻撃1死満塁、1打サヨナラ負けという絶対のピンチに立たされたときの気持ちは。
栽監督●絶対絶命のピンチでしたね。しかし、あのシーンを思い出してください。昨年夏の大会県予選の決勝戦でもまったく同じシーンがありましたよ。このピンチを迎えた打者は小倉も那覇も上位。スクイズでなく絶対勝負してくると読んでましたよ。そうなったら活路も開けてくると、あの時点で宮城にピッチドアウトする余裕はありません。スクイズでこられたら負けでしたね。
ーそして続く二死満塁カウント2−3のときの心境は。
栽監督●あの一球が分かれ道で、優勝を呼び込んだといえるでしょう。宮城を替える気持ちはまったくなかった。そのときの勝負球が変化球でね。宮城正独特の落ちる球、ストンと胸がすくように落ちた。
ー九州の高校野球のレベルをどう見ました。
栽監督●レベルは低くないと思う。試合になったらそれは新人らしさが残ってましたがね。これから春、夏に鍛えがいのある選手がゴロゴロという感じです。それだけセンバツ、夏はきびしくなると思いますよ。
ーさてセンバツですね。九州を制覇したことで当然マークされると思いますが、甲子園に向けてチームの課題は。
栽監督●まず体力をつけること、パワーアップでしょうね。九州大会ではパワーでも他校を上回ったが、甲子園ではまだまだ通用しない。それとプレーの確かさを増すことになるでしょう。たとえば神里は制球力はいいといってもスポットコントロールにはまだ不安が残る。連携プレーにも、走塁にもやるべき課題はまだ山ほどある。
九州を制覇したからといって選手に自信をつけさせちゃいかんと思っているんですよ。しごいてしごいて、あしたからの練習は選手が持ったかもしれない自信をなくすことから始めなければならない。ひとつひとつ、これから積み上げていく気持ちです。
……………………………………………
思い出にのこるあの日あの一球でした。
強豪天理に勝ちました!
おめでとうございます。明日もたのしみです。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
さて、31年前の記事を掲載します。
これは初の九州大会制覇したあとの栽先生のインタビューです。
栽先生の野球に対する姿勢、さまざまな教えは、豊見城高校野球部OBの金城監督(沖尚がセンバツ初優勝したときの監督)を経由してその教え子の比嘉公哉監督〜今の選手たちにしっかりと受け継がれていると思います。
昭和52年(1977年)11月16日 水曜日 琉球新報

この人と30分
九州制覇した豊見城高校野球部監督
栽 弘 義
ー九州制覇おめでとうございます。どうですか飛行機のタラップを降りてきたときの気持ちは
栽監督●うれしさと不安がごちゃまぜになった妙な気分ですね。初めての九州制覇ですからね。それはもううれしいにはちがいない。だけど、これでまた甲子園にみなさんの期待が大きくなったわけですからね。それにこたえられるかどうか。責任が重くなっだけに、それだけ不安も。
ー優勝の原動力は
栽監督●攻守のバランスがとれていたということでしょうね。それに軸になる選手がそれだけの働きをしてくれた。投手がまだ仕上がっていないとう不安もあるが、よくがんばってくれた。
ーそれだけ打力の勝利ですね。
栽監督●うん、まあよく打ってくれました。昨年にくらべて柄は小さくなったがパワーはは上ですよ。パワートレーニング、ウエートトレーニングを続けてきた成果でしょう。石嶺の小浜戦でのホームランは場外に130mは飛んでいる。神里のは低いライナーでね。
ー守備も再三ダブルプレーを演じピンチを切り抜けましたね。
栽監督●この大会で三塁の宮城、遊撃の新垣は自信をつけたでしょう。それに内野では二塁の比嘉康がキーですね。バッティングは湿りがちだったが、その守備の広さ、連係プレーの確かさは一試合でヒット4本の価値があった。
ーさて、対小倉戦で1:1で迎えたあの9回裏、小倉の攻撃1死満塁、1打サヨナラ負けという絶対のピンチに立たされたときの気持ちは。
栽監督●絶対絶命のピンチでしたね。しかし、あのシーンを思い出してください。昨年夏の大会県予選の決勝戦でもまったく同じシーンがありましたよ。このピンチを迎えた打者は小倉も那覇も上位。スクイズでなく絶対勝負してくると読んでましたよ。そうなったら活路も開けてくると、あの時点で宮城にピッチドアウトする余裕はありません。スクイズでこられたら負けでしたね。
ーそして続く二死満塁カウント2−3のときの心境は。
栽監督●あの一球が分かれ道で、優勝を呼び込んだといえるでしょう。宮城を替える気持ちはまったくなかった。そのときの勝負球が変化球でね。宮城正独特の落ちる球、ストンと胸がすくように落ちた。
ー九州の高校野球のレベルをどう見ました。
栽監督●レベルは低くないと思う。試合になったらそれは新人らしさが残ってましたがね。これから春、夏に鍛えがいのある選手がゴロゴロという感じです。それだけセンバツ、夏はきびしくなると思いますよ。
ーさてセンバツですね。九州を制覇したことで当然マークされると思いますが、甲子園に向けてチームの課題は。
栽監督●まず体力をつけること、パワーアップでしょうね。九州大会ではパワーでも他校を上回ったが、甲子園ではまだまだ通用しない。それとプレーの確かさを増すことになるでしょう。たとえば神里は制球力はいいといってもスポットコントロールにはまだ不安が残る。連携プレーにも、走塁にもやるべき課題はまだ山ほどある。
九州を制覇したからといって選手に自信をつけさせちゃいかんと思っているんですよ。しごいてしごいて、あしたからの練習は選手が持ったかもしれない自信をなくすことから始めなければならない。ひとつひとつ、これから積み上げていく気持ちです。
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思い出にのこるあの日あの一球でした。
2008年03月28日
九州大会優勝
沖縄尚学、初戦突破 おめでとうございます。
ピンチに動ぜず、最後まで守り抜く醍醐味を見させてもらいました。
9年前のセンバツ優勝時を彷彿とさせる試合の流れです。
なお、当時沖縄尚学を率いた豊見城高校OB金城孝夫監督(現佐世保日大)は私・宮城の又従兄弟です。
一方、
30年前の1978年第50回選抜大会は、豊見城は優勝候補と期待されながらも初戦で群馬の桐生高校と対戦。結局、大会左腕№1小暮投手に抑え込まれ1:3で敗れてしまいました。敗因はセンターの再三のファインプレーに阻まれました。石嶺を研究した外野人のフェンスぎりぎりに守りホームラン以外は取るというディフェンスに尽きると思います。野球に絶対はありません。勝負の世界の厳しさを学びました。すぐ夏へ向けて切り替えて厳しい練習に挑むことになりました。
………………………………………………………………
その前年秋の九州大会で豊見城高校は、沖縄県勢で初優勝を成し遂げました。
今回は当時を振り返ってみます。
昭和50年(1977)11月10日 沖縄タイムス記事より

九州制覇、こんどこそ!
好調の4割打線
闘志秘め、きょう出発 豊見城
長崎で行われる第61回九州高校野球大会に出場、九州制覇に七度目の挑戦をする豊見城高校野球部は新人大会終了後も休むことなく、新たな目標に向かって調整を続けて来た。投打とも申し分なく、守りも含め万全の体制だ。初戦の相手も長崎・小浜高に決まって、各自胸に闘志をかき立てる。豊見城の戦力は旧チームに劣らず、破壊力はむしろ上回り優勝候補の最右翼にあげられている。「まず2勝。センバツへの切符を手にする」(栽監督)と謙そん気味に言うが内心は九州よりも甲子園”日本一“に焦点をしぼっている。
(中略)
打力に比べ力が劣ると言われた投手陣の神里、宮城正は、1日300球の投げ込みで球威が新人大会より増した。神里は171cm、66kg、宮城正が160cm、60kg。両投手とも速球を主体する右の本格派。奪三振こそ五試合で14と少ないが、カーブ、シュートを交ぜて打ちとうピッチングは防御率1・8と立派な内容。大会は神里〜宮城正の継投策になる。宮城正は五試合10イニングを自責点ナシ、立派に役目を果たしている。
(後略)
大会結果は以下の通り 優勝!!でした!
一回戦 豊見城 9:0(長 崎・3)小 浜
二回戦 豊見城 5:2(北福岡)小 倉
準決勝 豊見城 7:2(長 崎・1)佐世保工
決 勝 豊見城 4:0(鹿児島)鹿児島商
球場:長崎市営球場、諫早市営球場
※これは快挙です。詳細記事については次回に掲載します。
ピンチに動ぜず、最後まで守り抜く醍醐味を見させてもらいました。
9年前のセンバツ優勝時を彷彿とさせる試合の流れです。
なお、当時沖縄尚学を率いた豊見城高校OB金城孝夫監督(現佐世保日大)は私・宮城の又従兄弟です。
一方、
30年前の1978年第50回選抜大会は、豊見城は優勝候補と期待されながらも初戦で群馬の桐生高校と対戦。結局、大会左腕№1小暮投手に抑え込まれ1:3で敗れてしまいました。敗因はセンターの再三のファインプレーに阻まれました。石嶺を研究した外野人のフェンスぎりぎりに守りホームラン以外は取るというディフェンスに尽きると思います。野球に絶対はありません。勝負の世界の厳しさを学びました。すぐ夏へ向けて切り替えて厳しい練習に挑むことになりました。
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その前年秋の九州大会で豊見城高校は、沖縄県勢で初優勝を成し遂げました。
今回は当時を振り返ってみます。
昭和50年(1977)11月10日 沖縄タイムス記事より

九州制覇、こんどこそ!
好調の4割打線
闘志秘め、きょう出発 豊見城
長崎で行われる第61回九州高校野球大会に出場、九州制覇に七度目の挑戦をする豊見城高校野球部は新人大会終了後も休むことなく、新たな目標に向かって調整を続けて来た。投打とも申し分なく、守りも含め万全の体制だ。初戦の相手も長崎・小浜高に決まって、各自胸に闘志をかき立てる。豊見城の戦力は旧チームに劣らず、破壊力はむしろ上回り優勝候補の最右翼にあげられている。「まず2勝。センバツへの切符を手にする」(栽監督)と謙そん気味に言うが内心は九州よりも甲子園”日本一“に焦点をしぼっている。
(中略)
打力に比べ力が劣ると言われた投手陣の神里、宮城正は、1日300球の投げ込みで球威が新人大会より増した。神里は171cm、66kg、宮城正が160cm、60kg。両投手とも速球を主体する右の本格派。奪三振こそ五試合で14と少ないが、カーブ、シュートを交ぜて打ちとうピッチングは防御率1・8と立派な内容。大会は神里〜宮城正の継投策になる。宮城正は五試合10イニングを自責点ナシ、立派に役目を果たしている。
(後略)
大会結果は以下の通り 優勝!!でした!
一回戦 豊見城 9:0(長 崎・3)小 浜
二回戦 豊見城 5:2(北福岡)小 倉
準決勝 豊見城 7:2(長 崎・1)佐世保工
決 勝 豊見城 4:0(鹿児島)鹿児島商
球場:長崎市営球場、諫早市営球場
※これは快挙です。詳細記事については次回に掲載します。









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