2008年05月21日
故 栽弘義を偲ぶ会
去る5月20日、沖縄かりゆしアーバンリゾート・ナハにて開催させて頂いた、故 栽弘義先生を偲ぶ会におきまして、多数のご来賓の方々ならびに関係各位にご参集賜りました事、厚く御礼申上げます。
おかげ様で550余名の方々にご参集頂き、盛況のうちに無事終了することができました。これもひとえに皆様のお蔭様によるものと深謝に絶えません。重ね重ね御礼申し上げます。
栽弘義オフィシャルサイトでは、故 栽弘義先生を偲ぶ会 会場にてのスナップ写真や当日のプログラムをご覧いただけます。
おかげ様で550余名の方々にご参集頂き、盛況のうちに無事終了することができました。これもひとえに皆様のお蔭様によるものと深謝に絶えません。重ね重ね御礼申し上げます。
栽弘義オフィシャルサイトでは、故 栽弘義先生を偲ぶ会 会場にてのスナップ写真や当日のプログラムをご覧いただけます。
詳しくは栽弘義オフィシャルサイトまで
2008年05月17日
2008年05月16日
豊見城高校野球部11期


父母会の協力で私たち選手は甲子園にこれました
今度は自分が親として子供に返す番です
上の写真 市立尼崎高校グランド 真ん中(松島会長) 現三共電気会長です
下の写真 兵庫県沖縄県人会館 選手の洗濯ものをたたんでます
2008年05月14日
2008年05月12日
2008年05月11日
2008年05月10日
2008年05月08日
栽弘義先生 一周忌

2008年5月8日。私たち教え子一同、改めて恩師、栽弘義先生のご冥福を心からお祈りいたします。
2008年05月07日
栽 弘義 豊見城高校時代


豊見城高校8期 選抜大会(甲子園球場)の写真です
当時、私も中学2年の春休みに見て、感動しました
その時、豊見城高校に入学し甲子園に行くと決意しました。
栽先生の恐ろしさも知らずに・・・
2008年05月06日
栽 弘義


甲子園初出場 75年春、栽先生は、部長登録
年齢制限で試合に出場できなくなった
亀谷興勝投手を監督に抜擢した。
当時のキャプテン浜川太(キャッチャーで4番)
コメントです。
亀谷選手に対しての配慮、心配りなど
今振り返って見ると、「なかなか出来る事ではない」
尊敬できる先生に出会えて感謝の思いで、いっぱいです
2008年05月05日
2008年04月29日
2008年04月28日
2008年04月26日
2008年04月25日
故 栽弘義を偲ぶ会

昭和50年 第47回春の選抜高等学校野球大会
栽弘義、甲子園初出場で初の1勝。千葉・習志野を3×0で破り、初陣を飾る。
先にお伝えした通り、5月20日(火)に『故 栽弘義を偲ぶ会』が行われます。
みなさまにも生前、栽先生とゆかりのあった方々にお伝え頂けます様、宜しくお願い申し上げます。
私も恩返しとして全力投球で取り組みます。
詳細は栽弘義オフィシャルサイトをご覧下さい。
2008年04月22日
栽先生の遺品
日時:5月20日(火)18:30受付
ところ:沖縄かりゆしアーバンリゾート・ナハ6階ニライカナイの間
故 栽 弘義を偲ぶ会の資料です
生前の栽先生との思い出が蘇ります
泣きながら、確認し、整理してます
何か不思議な感覚です
今、大事な資料が目の前にあります
恩師を思う私の気持ちが伝わったのか
大役を任せられました
栽先生のおもいを正確にまとめ
偲ぶ会に貢献できるよう努めます
2008年04月17日
南部の時代
春季九州高校野球大会
4月19日から始まる春季九州高校野球大会に出場する沖縄尚学と浦添商業が16日に長崎へと出発しました。先日のチャレンジマッチでは浦添商業がセンバツの覇者・沖縄尚学を8:1という大差で粉砕しました。ある程度予想されていたとはいえ、いいとこなしの沖尚はショックだったでしょう。でもいい刺激でした。
しょせん発達途上の高校生、たとえ1週間でも気を抜くとそういう結果になるということですね。沖尚の東浜くんや伊古くんの故障も気になります。それにしても浦商の投打は圧巻でした。日本一どころか高校野球世界一をあげたいくらいです。中学野球も含めてほんとに沖縄の野球レベルは上がりました。近いうち「沖縄を制するものは全国を制す」の言葉も聞かれるでしょう。
さて、30年前シリーズですが、我が豊見城高校と南風原高校が揃って春季九州高校野球大会(福岡)に出場しました。両校とも南風原とその近隣出身者が多くいわゆる南部連合といった感じでした。伊良皆さんらはいまだに県軟式野球の第一線で活躍しています。
「南部の時代」がたしかにあったんですね。近所の少年野球関係者の皆さんと子供たち、あの南部の時代をもう一度再現してほしいです!!

4月19日から始まる春季九州高校野球大会に出場する沖縄尚学と浦添商業が16日に長崎へと出発しました。先日のチャレンジマッチでは浦添商業がセンバツの覇者・沖縄尚学を8:1という大差で粉砕しました。ある程度予想されていたとはいえ、いいとこなしの沖尚はショックだったでしょう。でもいい刺激でした。
しょせん発達途上の高校生、たとえ1週間でも気を抜くとそういう結果になるということですね。沖尚の東浜くんや伊古くんの故障も気になります。それにしても浦商の投打は圧巻でした。日本一どころか高校野球世界一をあげたいくらいです。中学野球も含めてほんとに沖縄の野球レベルは上がりました。近いうち「沖縄を制するものは全国を制す」の言葉も聞かれるでしょう。
さて、30年前シリーズですが、我が豊見城高校と南風原高校が揃って春季九州高校野球大会(福岡)に出場しました。両校とも南風原とその近隣出身者が多くいわゆる南部連合といった感じでした。伊良皆さんらはいまだに県軟式野球の第一線で活躍しています。
「南部の時代」がたしかにあったんですね。近所の少年野球関係者の皆さんと子供たち、あの南部の時代をもう一度再現してほしいです!!

2008年04月12日
青春ドラマ
青春ドラマ/甲子園秘話
これから紹介する青春ドラマは、赤嶺賢勇先輩が豊見城高校から東京巨人軍に入って2年後、沖縄での出来事です。雑誌『センブンティーン』に掲載された記事です。『センブンティーン』といえば女子高校生向けのアイドルやファッションの情報雑誌。男はまず見ない読まない本ですが、そんな雑誌の特集に我が豊見城高校野球部11期が載ったのです。ということは我々は「アイドル」になったかもしれないという幻想を抱いたりしちゃったりもします。しかし期待されながらセンバツで初戦敗退したあとの取材記事ですから内容はまあ暗い暗い。でも青春ドラマ仕立てでかっこよく書かかれてあります。さっそくひもといてみましょう。
涙は夏までおあずけだ!
桐生3−1豊見城。試合は終わった。しかし、負けた豊見城は、バッテリーの神里くん、石嶺くんをはじめ、だれひとり甲子園の土を持っていこうとしなかったし、涙なんか見せなかった。泣くのは、夏の大会で優勝したとき。今日からは、夏をめざして、練習開始だ…ーーーと。(泣くのを必死にこらえ「巨人の星」の青雲高校の如く夕日に向かって走り出す選手たち)ハイッ、カットカット! (何の撮影や!)





これは実話です。実際、夏に向けて死ぬほど練習してました。
これから紹介する青春ドラマは、赤嶺賢勇先輩が豊見城高校から東京巨人軍に入って2年後、沖縄での出来事です。雑誌『センブンティーン』に掲載された記事です。『センブンティーン』といえば女子高校生向けのアイドルやファッションの情報雑誌。男はまず見ない読まない本ですが、そんな雑誌の特集に我が豊見城高校野球部11期が載ったのです。ということは我々は「アイドル」になったかもしれないという幻想を抱いたりしちゃったりもします。しかし期待されながらセンバツで初戦敗退したあとの取材記事ですから内容はまあ暗い暗い。でも青春ドラマ仕立てでかっこよく書かかれてあります。さっそくひもといてみましょう。
涙は夏までおあずけだ!
桐生3−1豊見城。試合は終わった。しかし、負けた豊見城は、バッテリーの神里くん、石嶺くんをはじめ、だれひとり甲子園の土を持っていこうとしなかったし、涙なんか見せなかった。泣くのは、夏の大会で優勝したとき。今日からは、夏をめざして、練習開始だ…ーーーと。(泣くのを必死にこらえ「巨人の星」の青雲高校の如く夕日に向かって走り出す選手たち)ハイッ、カットカット! (何の撮影や!)





これは実話です。実際、夏に向けて死ぬほど練習してました。
2008年04月09日
赤嶺賢勇氏最新情報
夏に向けた準備が全国一遅い
沖縄尚学、優勝おめでとうございます。
4/5の沖縄タイムスで赤嶺先輩のコメントがありました。
赤嶺賢勇氏(豊見城高校のエースとして1975年春のセンバツで県勢初の8強入り)
赤嶺さんの最新の情報です。
荒井幸博氏のブログ『荒井幸博TODAY』というブログに掲載されていました。
タイトル:沖縄尚学優勝の翌日に赤嶺賢勇さんと
沖縄尚学、優勝おめでとうございます。
4/5の沖縄タイムスで赤嶺先輩のコメントがありました。
赤嶺賢勇氏(豊見城高校のエースとして1975年春のセンバツで県勢初の8強入り)
赤嶺さんの最新の情報です。
荒井幸博氏のブログ『荒井幸博TODAY』というブログに掲載されていました。
タイトル:沖縄尚学優勝の翌日に赤嶺賢勇さんと
2008年04月08日
深紅の優勝旗に”万歳“

深紅の優勝旗をしっかり両手で握った、島袋キャプテンを先頭に、
空港ロビーに入ってきた豊見城高野球部=那覇空港
深紅の優勝旗だからといっても夏の甲子園ではありません。
1977年秋に県勢として初めて九州を制覇して凱旋帰沖したときの様子です。今回の沖尚ほどの騒ぎではないが、当時としては学校や高野連関係者を中心に大歓迎を受けた記憶があります。九州制覇は現在の沖尚の甲子園センバツ制覇の布石となる一つの大きな関門でした。
琉球新報 昭和52年(1977)11月16日朝刊
深紅の優勝旗に”万歳“

空港は歓迎陣の波
九州制覇の豊見城ナイン
夢果たし帰る
帰ってからが勝負です。チヤホヤされていつまでも有頂天になっていると、あとでとんでもないことになりますよ。
ところで
昔の高校生はテレビや新聞のインタビューに答えるのはうまくありませんでした。緊張して日本語でうまく話せなかったのです。その点、現在の沖縄尚学の選手や最近の高校生の話し方は堂々としてとても上手ですね。






















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